我がオケ「大阪交響楽団」 〜いま師範代に出来ること〜
大阪交響楽団というオーケストラ
師範代が1999年から在籍しているオーケストラ、大阪交響楽団。
よく考えて見るともう入団して21年目。入団当初はもちろん一番若手だった師範代も今となっては古株に数えられます。
今では大阪交響楽団(大響)という名称も定着して来ていますが、師範代の入団当時は大阪シンフォ二カーという名称でした。
ご存知ない方のためにも少し我々のオーケストラの紹介を。
師範代の所属する大阪交響楽団は1980年に当時一般の主婦だった敷島博子さんの手により創立されました。
まずこの段階でびっくりしませんか?
普通の主婦がオケ作ります?
「音大や芸大を卒業した優秀な音楽家がたくさんいても食べていけなくてみんな可愛そうやから私がなんとかしてあげたい」って1つのプロオケ作ってしまったんです。
今これ書きながら改めてホンマに凄いエネルギーを持った人やったなぁと博子さんの事を思い出してます。
残念ながら去年5月に急性心不全のためお亡くなりになってしまいましたが、本当にあったかいみんなのお母ちゃんでした。
www.asahi.comそのお母ちゃんが一人で作らはったオケなんです。
彼女がいなければ僕らもいませんでした。
師範代が99年に入団して2年後の2001年に大阪シンフォニカーから大阪シンフォニカー交響楽団へ改名。
当時事務局長が冗談かもしれませんが「営業で電話かけて大阪シンフォニカーですって言うたら、カーって付いてるから車の営業とよう間違えられててん」って言ってました(笑)
文化庁の支援事業助成を得て2002年にはルーマニア、2003年にはベトナムに海外公演も実現し、2009年には文化庁芸術祭大賞を頂きました。
翌2010年に創立30周年を迎えて名称を今の大阪交響楽団に改称。
そこから10年が経った今年、創立40周年を迎えたお祝いの年なのであります。
ざっとご紹介しただけですが、一人の主婦が立ち上げたオーケストラが在阪のプロオケが既に活躍している中で地道な活動を続けて40年!
凄まじい生命力だと思います!
しかしながら、その我がオケ、大阪交響楽団も今回の新型コロナウィルスの影響を受け、3月初旬から全ての公演がキャンセルになり、今で1ヶ月半。
もちろん4月の仕事は全て無くなり、5月6月にギッシリ詰まっていた公演も毎日の様に事務局からキャンセルの連絡が入りどんどん白紙になって来ています。
この状態が続けばどんなに母体がしっかりした団体でも運営は傾き、必ず存続の危機に面します。
特に我々の様な安定した基盤がある訳ではないオーケストラの場合は時間の問題です。
師範代から皆様へのお願い
そこで、このブログを読んで下さってる皆様に師範代からのお願いがございます。
我々、大阪交響楽団は皆様方にご寄付によるご支援をお願い致しております。
フレンド会員として一口3000円からのご寄付が可能となっています。
お申し込み頂きました方には4つの特典もございます。
どうか下記のリンクから一度ご覧になって下さい。
ご覧頂きありがとうございます。
ちなみに、このご寄付のお願いはオーケストラ事務局から団員に向けて「SNSなどでシェア拡散して下さい」とは言われていません。
オケの事務局が我々団員を守るために我々に言わないで必死でやってくれてることなんです。
恐らく楽団の母、敷島博子さんの強い意志を引き継いだ大阪交響楽団事務局のエネルギーだと師範代は思っています。
事務局は皆様からご寄付頂いたご支援を「全額楽団員の人件費として活用させていただきます」とサイトにもお伝えしていますが、逆に非力かもしれないけど40歳を迎えたばかりのこのオーケストラを師範代は守りたい!
いま師範代に出来ることはこんなふうにSNSやブログに投稿したり、YouTubeの動画を使って皆さんにお願いしたりする事ぐらいしか出来ませんが、それでも一人でも多くの方々にこの気持ちが伝わり、一人でも多くご賛同頂けますことを切に願っています。
それと同時に、どうか皆さんも健康でいて下さい。
まだ先になるかもしれませんが、必ず収束の日はやって来ます。
時が来てまた皆さんにお会い出来た折には精一杯の感謝の気持ちと想いを込めてまた全力で奏でます。
そこには博子さんも必ず来てくれることでしょう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
心から感謝します。
ではまた!