歌うということ 〜シンギングアプローチ〜
演奏者にとっての「歌う」という行為
楽器を演奏する人の中にはこの「歌う」という言葉に苦しめられた経験を持つ人も少なからずいると思います。
のっけから重い話題やなぁ…と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも音楽を勉強している方、もしくはそれを生業としていらっしゃる方からするとウンウンとうなずいてるかたもいることと思います。
実は師範代も学生時代それでかなり悩んでいました。
楽器演奏の経験を持たない方からすると「どういうこと?」と思われることでしょう。
「歌う」と言いましても「声を出して歌う」ことではありません。
演奏上の表現力として音楽的に演奏することを指します。
音楽的に歌っている演奏…それは誰しもが憧れる理想の演奏なのです。
良い音で演奏することも必要な要素です。
しかし、良い音を並べて演奏しているだけでは退屈な演奏に感じることもあります。
超絶テクニックで速いパッセージをクリアに演奏出来ることも必要な要素ですが、それだけではひけらかしの演奏になりかねません。
それらの要素に「このイメージを聴衆に届けたい」と願う演奏者の想いが加わり、聴く人の心に届けようとする表現となることを「歌う」と定義付けるのではないかと師範代は考えています。
取り扱い注意!「歌え」という無責任な言葉
また、楽器を演奏される方にはこの様な経験をされた方もいるのではないでしょうか?
吹奏楽やオーケストラなどの合奏の際に、指揮者の先生から「そこのフレーズ、もっと歌って!」と言われる様な場面。
これ比較的よく遭遇する瞬間だと思います。
中高生の吹奏楽部が合奏している時とかだと言われた内容がどう演奏して欲しいのか理解出来ていなくても条件反射で「ハイ!」って返事してしまってる事あると思います。
これ、パブロフの犬状態です。
なにちょれ?と思われる方は下のリンクからどうぞ!(笑)
察しの良い方々は師範代の言いたいこと、もうおわかりですよね?
音楽を勉強している音大生や芸大生、またそれを生業としているプロの音楽家でさえ、「その言葉を指揮者から浴びせられた時にどう表現すればOKサインをもらえるのか」と、その課題と対峙して日々勉強を繰り返し模索しているのに、ついこないだ楽器を始めたばかりの中高生たちに向けて「歌え!」と言葉だけで要求するという事は結構ハードルが高いことなのです。
なので、中高生の部活動、アマチュアの吹奏楽やオーケストラで指導や指揮をされる方々は、この言葉を使う際には必ず、言葉でも歌でもダンスでも構いませんので、演奏者に「こういう風に表現して欲しい」と、ご自身が要求する内容を是非伝えてあげて頂きたい。
そしてご自身の指揮でも音楽的な表現を用いて奏者たちからその「歌う」演奏を引き出すために見せる事を意識して下さい。
そう、指揮者と奏者の努力するバランスは同等なのです。
果たして演奏表現としての「音楽的に歌う」とはどうする事なのか?
いま一度演奏の表現力としての「歌う」ことに話題を戻しましょう。
見出しの言葉は正に師範代が学生の頃ずっと頭を悩ませていた課題でした。
沢山の演奏会に足を運び、色んな楽器の演奏に触れて、沢山感動しました。
来日アーティストのマスタークラスも受講したり聴講したり、しつこく質問したり…
でも自分が演奏する時にはなかなかそれらのインプットしたイメージは出て来てくれませんでした。
卒業試験でアンソニー・プログの「スリーミニチュア」を選んだのですが、理由はそこでした。
自分の乏しい表現力を露呈しない為のテクニック頼みの選曲だったのです。
しかし、師範代にとって大きなショックとも言うべき、衝撃的な経験をしました。
以前にも登場しましたが、ドイツ留学の際にお世話になったロバート・トゥッチ先生にレッスンで頂いたイメージは今でも自分の中で常に明るく進むべき道を照らし続けてくれており、日々成長して更に細分化されながら音楽の多面的要素を師範代に見せてくれています。
それは留学して一番最初のレッスンの時でした。
皆さんもよく練習されているエチュード「ボルドーニ」の1番を最後まで演奏し終えた時、しばらく考えて何かを察したのか、トゥッチ先生が、
「君は何を学びたくてドイツに来た?」
と聞かれたので、
出来が悪かったから怒られてるのか?(汗)
と一瞬思ったが、臆せずに思ってることを切り出してみた。
「テューバでもっと音楽的に演奏したいんです。それで先生のところへ来ました。」
すると、ゆっくり時間をかけて語学がダメな師範代に理解させるためにわかりやすい言葉を選びながらオーケストラの話をして下さいました。
「指揮者をよく見なさい。素晴らしい指揮者は目を使って奏者に自分の要求を語りかける。そして奏者は指揮者が何を要求しているのかを常に読み取れないといけない。」
言葉を全く勉強して行かなかった師範代はドイツ語は挨拶程度、英語も挨拶程度でダメダメでしたが、その時のトゥッチ先生の話はクリアに理解出来ました。
そして、更に話は続き、
「もしも音楽的な表現を自分の演奏に加えたいなら、頭の中に優秀な指揮者を一人いつもイメージしなさい。その指揮者はいつも君のためだけに素晴らしい指揮を振って君の演奏を理想的な演奏に導きます。彼が左右にたっぷり振った時はそのイメージを真似て音にしなさい。彼が、ここだ!と深く力強く振ったところはそのイメージで演奏する。優秀な指揮者はずっと同じ振り方をしない。常に全身で君のために音楽を表現してくれている。だからいつも頭の中の指揮者をよく見て、よく感じて、彼と一緒に練習しなさい。」
と言われた時には、今までずっと喉に刺さってたメタセコイアほどの太さの魚の骨がやっとぶっこ抜けた様な感覚でした。
ちなみにメタセコイアはこんな感じ。
結論
この経験があってから指揮者にとても興味を持つ様になり、帰国してからも自分の勉強のためにもと、吹奏楽の指導にも携わる様になりました。
そうする事でトゥッチ先生に頂いた言葉のとおり、自分の中に指揮者を一人雇うことが出来ました。
しかし、最初から自分の中に「素晴らしい指揮者」は雇えませんでした。
何故?
知らないから。
当時、フリーランスを始めたばかりの師範代はまだ経験も浅く、素晴らしい指揮者を目の当たりにする経験も乏しかった。
それでもオーケストラに入団し、プロフェッショナルとして活躍する指揮者たちを目の前で見て感じ、読み取るトレーニングが出来る様になり、他でも色々とお仕事をさせて頂く様になると自ずとインプットが増え、師範代の頭の中の指揮者も少しずつ育って行きました。
そして吹奏楽の指導や指揮する経験を重ねる事でアウトプットしようとする自分も少しずつ養われていってる様に感じます。
結論
としまして、歌うということは…
結論付けることが難しいけど、とにかく好きの延長線上、楽しいの延長線上、やりたいの延長線上、WANTの延長線上で演奏しようとした時に身体から溢れるエネルギー。
なんだと思います、師範代はね。
残念ながら、飲むだけで音楽的に演奏出来る様になります!…的な特効薬は無いです!
ホントそうだと思います。
でもね、ドイツ留学の時のトゥッチ先生に頂いた言葉。
これは音楽やってる人全てに有効な発想だと思います。
で、トチ狂って本当に演奏しながら歌ってしまってる師範代の動画がコチラ(笑)
"Fnugg"(フヌッグ)【#Stayhome #Withme】
そして情熱を持って
もう一回真面目な話に戻して申し訳ないですが、
でもインプットとアウトプットのバランスはとっても大切で、どちらかに偏ると頭の中の指揮者も自分も成長し辛くなる事だけは確かです。
なので普段から、地道な努力で自分と向き合ってコツコツやる事が大切なんですね。
え〜!そんなん時間かかるしめっさダルいや〜ん!
て思う方もいるかもしれませんが、そんなものは情熱さえあれば大丈夫です!
ファイナルファンタジー買って熱中してやってるといつの間にか朝になってるでしょ?
それと同じです。
熱中して大好きな音楽の勉強に没頭してる間はダルいなんて感じてる暇ありません。
たぶん気がついたら棺桶に入ってる自分を幽体離脱して上から眺めてる自分に気づいて、
「あ、熱中してて気づかんかったけど、オレ死んだんや」
みたいなエンディングなんでしょうね。たぶん。
死んだことないから知らんけど(笑)
じゃあ、や〜んぴ!
って諦めるんじゃなく、
だからこそ熱中するべきなんじゃないでしょうか?
自分の人生に。
野球でも、サッカーでも、プロレスでも、なんとか坂48でも、スーパーのレジ打ちでも、建設現場の作業員でも、音楽家でも…
自分の誇りを持ってやりたい事に熱中してる間が最高に楽しくて気づかないうちに人生が充実している…ハズ。
師範代はそう考えます。
そうありたい。
そうなって…
みんな…
お願い!
…別に何かがあった訳ではありません(笑)
いま文字数見てちょっと引きました(もうすぐ4000文字…汗)
まぁ、このブログも情熱を持ってやってる事なのでお許し下さい(笑)
コロナの野郎のせいで日々陰鬱とした日々をおくってらっしゃる方もいるかと思いますが、どうか日々情熱を持って!
ポジティブスパイラルでお過ごし下さい!
こんな長ったらしい春休みの作文課題みたいなのを最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
まだまだ収束には時間がかかりますが、
どうかこれからも不要な外出を控え、
#StayHome
でお願いします!
ゴールデンウィークはご自宅で家族とゆっくりお過ごし下さい。
沖縄行ったらあかんで〜!
ではまた!