ポジティブスパイラル!

大阪交響楽団テューバ奏者、潮見裕章のブログです!

友がそばにいるということ(作曲:清水大輔)

作るだけ作って4年間放置してた自分のYouTubeチャンネル

 

コロナの影響が姿を現し始めた2月頃から

少しでも誰かの役に立てばと思い

過去の演奏動画や基礎練習を中心とした練習方法の動画など

100本以上をコツコツとアップロードして来た

 

その頃から公開すべきかどうか迷っていた音源があった

 

映画音楽の様な素晴らしい吹奏楽作品を数多く手がけられる

日本を代表する作曲家の一人、清水大輔さんに師範代が委嘱して

書いて頂いたテューバとピアノのための作品

 

「友がそばにいるということ」

 

 

とても美しいメロディと

息苦しくなる程の内なる高揚感

 

テューバのために書かれたソロ作品の中でも

極めて珍しい「劇中歌」の様な作品です

 

 

作曲して頂いてから何年も経った今でも

よくこの作品を人前で演奏させて頂いている

 

それほど思い入れのある作品なのだ

 

 

 

この作品を書いて頂き初演したのは2008年

今から思えば不躾な師範代の依頼に

清水さんもさぞかし頭を悩まされたことと思うが

唐突に送った依頼のメールに彼は二つ返事で快諾して下さった

 

 

 

話はタイムスリップするが

師範代にも高校生の時代があった

 

吹奏楽部で友人たちと過ごした思い出深い3年間

そこで出会った仲間たちは掛け替えのない存在である

 

その中の一人に

トロンボーンを吹いていた「友人A」がいた

彼は中学の頃、もともと師範代と同じテューバを吹いていて

高校に入学してもテューバを続けようと思っていた

 

そこにもう一人中学生の頃からテューバを吹いていた「友人B」もいて

それほど大きくない吹奏楽部にテューバ経験者が3人も入部して来るという

異例のテューバパート豊作の年となった

 

がしかし、学校にはそんなに楽器の数もなく

残念ながら3人のうち誰か一人は他のパートに移らなくてはならないという事になる

 

友人Bはテューバ以外になるなら退部すると言い出し

師範代も随分悩んだが

その頃にはもうテューバで音大を受験する事を決めていたのでその旨を打ち明け

どうしたものかとパートの先輩と頭を悩ませていた

 

すると友人Aがあっけらかんとしたトーンで

俺、トロンボーン行くわ!ちょっと興味あったし

と自ら進んでパートを移動すると名乗り出てくれたのだ

 

彼がそう言ってなければひょっとしたら師範代が他のパートに移っていたかもしれない

そう考えるとどうなっていただろうと思うが

それはさておき

友人Aはそんな人の気持ちを慮り自ら人に道を譲る様な心優しい男だった

 

 

そんな彼を含む吹奏楽部の友人たちとは卒業してからもよく集まっていた

 

師範代が大学を卒業してプロとして活動をする様になると

実家へ帰る度にみんなで集まってワイワイとよく遊んでいた

 

師範代は長い間独り身でいたけれど

地元の仲間は割と早めに伴侶を見つけ

友人A結婚して幸せな日々を送っていた

しばらく子供が出来ないと悩んでいたが30を過ぎて子宝に恵まれ

念願のマイホームを建て

造園業を営んでいた彼は自分で庭を作る計画を進めていた

 

順風満帆な30代前半のそんな幸せの最中に

彼の体から進行性のが見つかる

 

様々な療法を試すが

若い体を弄ぶかのように蝕む病魔

 

そんな彼を目の当たりにして何も出来ないでいる自分を

とても情けなく思い

何か自分に出来る事はないかと考えた結果

彼のために演奏する事しか出来ない!

そう思い立ち

地元で初めてのソロリサイタル開催を決意した

 

その当時

吹奏楽作品を通じて交流を深めていた

作曲家の清水大輔さんにこの話をして

無茶を承知でそのリサイタルで

彼に聴いてもらうために演奏する彼のための作品

を書いて頂けないかとお願いをした

 

前述のように清水さんは二つ返事で快諾して下さり

そうしてこの「友がそばにいるということ」という美しい作品が誕生した

 

 

地元でのリサイタル当日は

残念ながら体調が優れず友人A来場は叶わなかったが

作曲して頂いた清水さんも遠いところ関東からわざわざご来場下さり

「友がそばにいるということ」は無事に世界初演を果たすことが出来た

 

終演時には客席の来場者の方々にも協力して頂いて

師範代の「(友人A)頑張れ〜!」の声に続いて

会場からも「頑張れ〜!」のエール

 

その様子を全て収めたホームビデオ

その足で別の友人に病室まで届けてもらい

友人Aにも聴いてもらうことが出来た

 

師範代は仕事があったため終演後に大阪へ直帰したが

友人Aから喜んでくれた様子のメールを受け取った

 

 

 

それから2ヶ月ほど経ったある日

容態が変化してるという友人たちからの連絡を受けて

みんなと病室に向かった

 

酸素マスクをした友人は、かろうじてか細い息は出来ているものの

目を開けることも少なくなるほど辛い状態になっていた

 

一人ずつ「がんばってな!」と手を握りながら声をかけ

指先のほんの少しの力でその返事を感じさせてくれる友人A

 

みんな泣かないようにしようと言っていたけど

家も近く一番よく会ったり飲みに行ったりしていた友人が

その手を握ったまま額をつけて嗚咽号泣してしまった

 

師範代が「泣くな!Aも心配するやろ!」と肩を叩いたその次の瞬間

今まで息することが精一杯に見えていた

そいつの手をグイッと自分の心電図のコードがついてる胸まで手繰り寄せ

ドンドンドン!

と3回自分の胸を叩いて「しっかりせえ!」と叫んだのだ

 

 

 

その瞬間の映像は今でも鮮明に残っている

そんな経験、忘れる事は出来ない

 

 

 

その数日後に友人Aは静かに息を引き取った

享年36歳

 

 

 

お前も死ぬぞ!

人間はいつか必ず死ぬ!

今まで死ななかった人間なんていない!

だから

必死で生きろ!

死ぬまで必死で生きろ!

 

 

高校生の時、離任式でそう言って

最後の言葉をかけて下さった先生の言葉を思い出した

 

 

 

結果

必死で生きてます

毎日へらへらしてるように見えるけど

死ぬまで必死で生きる覚悟で毎日を過ごしてます

 

 

どうせ死ぬんやったら

あ〜おもろい人生やった

と笑って死ねる様に

その日が来るまでは必死で生きようと思います

 

 

向こうに行ってと会ったら

おまえブログでオレの事書いてたやろ〜やめろや〜

って照れ臭そうに言いにくるのを楽しみにしつつ

 

 

そんな師範代の勝手な思いがたくさん詰まった素晴らしい作品

友がそばにいるということ

 

よかったら聴いてやってください


友がそばにいるということ(作曲:清水大輔)

 

最後まで読んで頂いて

そして聴いて頂いてありがとうございました

 

これからも死ぬまで必死で生きます

笑って死ねるように

 

 

あ、なにかがあった訳じゃないので心配しないでね

師範代はいつでもポジティブスパイラル!

 

よかったらチャンネル登録もよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

ではまた!

 

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